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ぷりん(*゚ー゚)
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元々は自作絵文字倉庫用に始めたブログですが、最近はすっかりレポブログになっています。
好きなアニメやゲームのゆかりの地へ赴いたりイベントへ参加した時のことをつらつらと記しています。


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◆京都伏見◇戦国武将地名ラリー&ご朱印◆

今回は京都の伏見で、戦国武将地名ラリーしてきたレポ+ご朱印です。
忍たまで地名ラリーをして以来久々ですが、こういうのすっごい楽しいです!(笑)
数年前には伏見の商店街主催のスタンプラリーを行っていた事もあったそうですが、いつも通りに自分たち主催の町内看板写メラリー(´∀`)長文ですが最後までお付き合い頂けると嬉しいです

簡単に京都市伏見区について
伏見区の中心部は豊臣秀吉が築いた伏見城の城下町で、当時周辺に大名屋敷が多く建てられた名残から、今も町名に大名の名前や役職名が入っているところがたくさんあります。
今回はその中から分かりやすく名字や役職名が入っている+自分の好きな武将の町名に絞って廻って来ました。
※写真はクリックで大きいサイズが表示されます。


丹波橋駅からまずは西側

■治部町=石田三成の下屋敷跡

三成関係は治部という名称で残っているのが私的にツボです。
ガソリンスタンドの奥一帯の長細い区画が下屋敷だったそうです。

■毛利町=毛利輝元・秀就の下屋敷跡

治部町の北隣。一応当時の屋敷図と言われるものを見るとこの区画は実は井伊さんの家で、さらに西側、ちょうど高速道路の高架あたりが毛利さん家だったようです。オクラ…ではなくきゅうり畑が広がっていたのが印象的でしたw


続いて丹波橋駅東側

■桃山町正宗=伊達政宗の上屋敷跡

政宗ー!名字ではなく名前が町名に入っているのは政宗だけなのでテンション上がりますw
当時の屋敷図を見ると政宗の上屋敷だけ異様に面積広い!
ちょうどお屋敷が建っていた場所にある「海宝寺」に寄ってご朱印を頂いてきました。


対応してくださったお寺の方が、友人の朱印帳と間違えて私の朱印帳に二回書いてしまった為ご朱印が2つになりました(;´∀`)
他の写真は境内、政宗お手植えと伝わるモッコクの木、仙台市の説明看板です。
仙台市が京都まで来てこの看板を設置したと思うと仙台市の政宗への深い愛を感じます(笑)デザインが政宗の着物の柄でかわいい。お寺内には政宗の位牌もあるそうです。
お寺の寺務所にはこんなものも↓
政宗の着物~!(*´∀`)
伏見商店街と仙台の商店街の方々の交流から、毎年七夕の時期近くになると仙台の商店街よりお寺に笹飾りが届けられるそうです。仙台の七夕祭りは有名ですね♪
またお寺の方のご厚意で、伊藤若冲が晩年に制作した障壁画「群鶏図」があった部屋などを見学させて頂きました。部屋の壁紙も当時のままだそうですが、華やかな柄が色あせることなく綺麗に残っていました。
またお寺の方よりこの様なお話も聞かせて頂きました。
『初代住職の竺庵浄印(または開創者の杲堂元昶)が清の皇帝の縁者で、当時お寺を通して清と貿易を行っていました。このことから”海から宝を運んでくる寺”という意味で「海宝寺」という名前になりました。しかしお寺で商売をするのは良くないとの事で外に商売を行う組織を作り、それがのちの大丸百貨店になりました。大丸のマークは人が世界と関わる貿易を意味し、一人と書いて「大」、丸は世界を表す。この縁から現在海宝寺の檀家は大丸関係者のみとなっています。』
う~ん?大丸の創業者下村彦右衛門正啓が竺庵に帰依し、自ら浄財を投じて援助を続けたのは有名な話ですので現在唯一の檀家さんであるのは確かなようですし、マークの話もそんなだったような気がしますが、大丸の元は下村正啓自身が始めた呉服店のはず・・・?
でも昔の事は不確かですので、このような説もあると思えばまた見解が広がって面白いですね。

■桃山最上町=最上義光、家親の屋敷跡

正宗町のすぐお隣。こんなところでも隣人同士w
そして右の写真…最上正宗…!?最上町と正宗町の境目あたりにあった地図ゆえの記述と思われますが、まさかの正宗が婿にいったみたいなことにw

■桃山町治部少丸=石田三成の上屋敷跡

ここは、地図で地名としてちゃんと存在しているのですがこの区画の大部分が森林で住宅がほんの数軒しか建っておらず、町内掲示板などの町名を記したものが全く見当たりませんでした。
伏見城の堀の内側にあたり、そこに三成の上屋敷があった事が町名の由来だそうです。当時の屋敷図を見るとちょうど上屋敷があった場所にのみ住宅が建っているようです。
写真はここに屋敷があったのかなーと思う住宅区画の一番北端にある林、道路を挟んだ北側にある堀の一部の名残で「治部池」と呼ばれている池、池までの道の入り口にある門です。
昔は柵がなく池の近くまで行く事ができたそうですが、現在は門と柵で覆われて隙間から覗く以外池を見る方法はありません。この池には夜な夜な鎧を着た武者の亡霊が現れるといういわくがあるそうで…三成かしらん。そうならぜひ会いたい!と思ったのですが真昼間から出て来てくれるはずもなくwしかし林道沿いなので夜中には絶対訪れたくない場所でした(;´∀`)
余談ですが桃山町治部少丸の西側の道路を挟んですぐ向かい側は字名が変わり桃山町下野という区画になるのですが、ここに建つ「浄祐庵」というお寺?さんの表札が、まさかの『石田』さんでした!(;・∀・)

■桃山町三河=徳川家康の上屋敷跡

家康ー。三河ってのがいいですよね(*´ω`)ちなみに桃山町駿河という地名もあり、こっちにも家康のお屋敷が?と思ったのですが、家康本人ではなく家臣の山口直友(駿河守)の屋敷があった由来だそうです。

■桃山毛利長門西町/東町=毛利輝元、秀就の屋敷跡

西町側には時間がなくて寄れませんでした屋敷図によると実際の毛利さん家はこの区画の一部のみだったようです。

■乃木神社(桃山町板倉周防)=徳川家康の上屋敷跡

現在乃木将軍を祀る乃木神社となっているあたりが、家康の上屋敷だったそうです。
家康関係…というと乃木将軍に失礼ですが、こちらでもご朱印を頂きました。
そしてー↓

■桃山町伊賀=石田三成の屋敷跡


上記の乃木神社のすぐ南隣りが三成の屋敷跡!家康とお隣さん(笑)
現在はその屋敷跡の土地にJR奈良線の線路が突き抜けています( ;∀;)家の中に電車がー

家康と三成の家の間の道。写真の左側の石壁が家康の屋敷があった乃木神社、右側が三成の屋敷跡のJR線路です。このショットの撮影が今回のラリーの目的の一つでもありました(笑)
現在この道は奥にある私立橘高校の私道になっており部外者は進入禁止なのが悔やまれます。
間の道から見える色んな角度での(といっても神社側は壁ですが)それぞれの屋敷跡を観察したかったのですが…あと桃山町伊賀には立花宗茂の屋敷もあったので、橘高校はなにか関係があるのかと思ったのですが特に関連ないそうです(´・ω・`)


ここから京阪電車に乗って移動、藤森駅へ

■深草西伊達町/東伊達町=伊達政宗の下屋敷跡

伊達町の交差点は府道35号線のちょうど西伊達町と東伊達町の間にあります。
上屋敷も広かったですが下屋敷もとにかく面積広い!秀吉のお気に入りだったという説や当時の政宗の力量が分かる気がしました。写真の東伊達町の看板はどちらも西伊達町との境目すぐにあったのでそこで撮影して満足してしまいました。駅が西側なのもあって東伊達町まで歩き回る体力がありませんでしたw

今回はここまでです!

武将関係の神社仏閣のご朱印も全国駆け巡って結構貯まったので、またおいおい記事にしていきたいと思います(´∀`)
 

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