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元々は自作絵文字倉庫用に始めたブログですが、最近はすっかりレポブログになっています。
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◆京都伏見◇戦国武将地名ラリー&ご朱印◆

今回は京都の伏見で、戦国武将地名ラリーしてきたレポ+ご朱印です。
忍たまで地名ラリーをして以来久々ですが、こういうのすっごい楽しいです!(笑)
数年前には伏見の商店街主催のスタンプラリーを行っていた事もあったそうですが、いつも通りに自分たち主催の町内看板写メラリー(´∀`)長文ですが最後までお付き合い頂けると嬉しいです

簡単に京都市伏見区について
伏見区の中心部は豊臣秀吉が築いた伏見城の城下町で、当時周辺に大名屋敷が多く建てられた名残から、今も町名に大名の名前や役職名が入っているところがたくさんあります。
今回はその中から分かりやすく名字や役職名が入っている+自分の好きな武将の町名に絞って廻って来ました。
※写真はクリックで大きいサイズが表示されます。


丹波橋駅からまずは西側

■治部町=石田三成の下屋敷跡

三成関係は治部という名称で残っているのが私的にツボです。
ガソリンスタンドの奥一帯の長細い区画が下屋敷だったそうです。

■毛利町=毛利輝元・秀就の下屋敷跡

治部町の北隣。一応当時の屋敷図と言われるものを見るとこの区画は実は井伊さんの家で、さらに西側、ちょうど高速道路の高架あたりが毛利さん家だったようです。オクラ…ではなくきゅうり畑が広がっていたのが印象的でしたw


続いて丹波橋駅東側

■桃山町正宗=伊達政宗の上屋敷跡

政宗ー!名字ではなく名前が町名に入っているのは政宗だけなのでテンション上がりますw
当時の屋敷図を見ると政宗の上屋敷だけ異様に面積広い!
ちょうどお屋敷が建っていた場所にある「海宝寺」に寄ってご朱印を頂いてきました。


対応してくださったお寺の方が、友人の朱印帳と間違えて私の朱印帳に二回書いてしまった為ご朱印が2つになりました(;´∀`)
他の写真は境内、政宗お手植えと伝わるモッコクの木、仙台市の説明看板です。
仙台市が京都まで来てこの看板を設置したと思うと仙台市の政宗への深い愛を感じます(笑)デザインが政宗の着物の柄でかわいい。お寺内には政宗の位牌もあるそうです。
お寺の寺務所にはこんなものも↓
政宗の着物~!(*´∀`)
伏見商店街と仙台の商店街の方々の交流から、毎年七夕の時期近くになると仙台の商店街よりお寺に笹飾りが届けられるそうです。仙台の七夕祭りは有名ですね♪
またお寺の方のご厚意で、伊藤若冲が晩年に制作した障壁画「群鶏図」があった部屋などを見学させて頂きました。部屋の壁紙も当時のままだそうですが、華やかな柄が色あせることなく綺麗に残っていました。
またお寺の方よりこの様なお話も聞かせて頂きました。
『初代住職の竺庵浄印(または開創者の杲堂元昶)が清の皇帝の縁者で、当時お寺を通して清と貿易を行っていました。このことから”海から宝を運んでくる寺”という意味で「海宝寺」という名前になりました。しかしお寺で商売をするのは良くないとの事で外に商売を行う組織を作り、それがのちの大丸百貨店になりました。大丸のマークは人が世界と関わる貿易を意味し、一人と書いて「大」、丸は世界を表す。この縁から現在海宝寺の檀家は大丸関係者のみとなっています。』
う~ん?大丸の創業者下村彦右衛門正啓が竺庵に帰依し、自ら浄財を投じて援助を続けたのは有名な話ですので現在唯一の檀家さんであるのは確かなようですし、マークの話もそんなだったような気がしますが、大丸の元は下村正啓自身が始めた呉服店のはず・・・?
でも昔の事は不確かですので、このような説もあると思えばまた見解が広がって面白いですね。

■桃山最上町=最上義光、家親の屋敷跡

正宗町のすぐお隣。こんなところでも隣人同士w
そして右の写真…最上正宗…!?最上町と正宗町の境目あたりにあった地図ゆえの記述と思われますが、まさかの正宗が婿にいったみたいなことにw

■桃山町治部少丸=石田三成の上屋敷跡

ここは、地図で地名としてちゃんと存在しているのですがこの区画の大部分が森林で住宅がほんの数軒しか建っておらず、町内掲示板などの町名を記したものが全く見当たりませんでした。
伏見城の堀の内側にあたり、そこに三成の上屋敷があった事が町名の由来だそうです。当時の屋敷図を見るとちょうど上屋敷があった場所にのみ住宅が建っているようです。
写真はここに屋敷があったのかなーと思う住宅区画の一番北端にある林、道路を挟んだ北側にある堀の一部の名残で「治部池」と呼ばれている池、池までの道の入り口にある門です。
昔は柵がなく池の近くまで行く事ができたそうですが、現在は門と柵で覆われて隙間から覗く以外池を見る方法はありません。この池には夜な夜な鎧を着た武者の亡霊が現れるといういわくがあるそうで…三成かしらん。そうならぜひ会いたい!と思ったのですが真昼間から出て来てくれるはずもなくwしかし林道沿いなので夜中には絶対訪れたくない場所でした(;´∀`)
余談ですが桃山町治部少丸の西側の道路を挟んですぐ向かい側は字名が変わり桃山町下野という区画になるのですが、ここに建つ「浄祐庵」というお寺?さんの表札が、まさかの『石田』さんでした!(;・∀・)

■桃山町三河=徳川家康の上屋敷跡

家康ー。三河ってのがいいですよね(*´ω`)ちなみに桃山町駿河という地名もあり、こっちにも家康のお屋敷が?と思ったのですが、家康本人ではなく家臣の山口直友(駿河守)の屋敷があった由来だそうです。

■桃山毛利長門西町/東町=毛利輝元、秀就の屋敷跡

西町側には時間がなくて寄れませんでした屋敷図によると実際の毛利さん家はこの区画の一部のみだったようです。

■乃木神社(桃山町板倉周防)=徳川家康の上屋敷跡

現在乃木将軍を祀る乃木神社となっているあたりが、家康の上屋敷だったそうです。
家康関係…というと乃木将軍に失礼ですが、こちらでもご朱印を頂きました。
そしてー↓

■桃山町伊賀=石田三成の屋敷跡


上記の乃木神社のすぐ南隣りが三成の屋敷跡!家康とお隣さん(笑)
現在はその屋敷跡の土地にJR奈良線の線路が突き抜けています( ;∀;)家の中に電車がー

家康と三成の家の間の道。写真の左側の石壁が家康の屋敷があった乃木神社、右側が三成の屋敷跡のJR線路です。このショットの撮影が今回のラリーの目的の一つでもありました(笑)
現在この道は奥にある私立橘高校の私道になっており部外者は進入禁止なのが悔やまれます。
間の道から見える色んな角度での(といっても神社側は壁ですが)それぞれの屋敷跡を観察したかったのですが…あと桃山町伊賀には立花宗茂の屋敷もあったので、橘高校はなにか関係があるのかと思ったのですが特に関連ないそうです(´・ω・`)


ここから京阪電車に乗って移動、藤森駅へ

■深草西伊達町/東伊達町=伊達政宗の下屋敷跡

伊達町の交差点は府道35号線のちょうど西伊達町と東伊達町の間にあります。
上屋敷も広かったですが下屋敷もとにかく面積広い!秀吉のお気に入りだったという説や当時の政宗の力量が分かる気がしました。写真の東伊達町の看板はどちらも西伊達町との境目すぐにあったのでそこで撮影して満足してしまいました。駅が西側なのもあって東伊達町まで歩き回る体力がありませんでしたw

今回はここまでです!

武将関係の神社仏閣のご朱印も全国駆け巡って結構貯まったので、またおいおい記事にしていきたいと思います(´∀`)
 

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仙琳寺の井戸と冬の佐和山

■仙琳寺

前回の記事で少し触れた仙琳寺のお堂と例の井戸を先日拝見できたので補完記事です。

まず前回入れなかった中門の中。
前回訪問した際は17時過ぎで中門の扉が閉まっていた為、てっきり拝観時間が過ぎており扉を閉められていたと思っていたのですが、今回は正午頃に訪れたのに同様に閉まっていました。
中は非公開なのかな?と思いつつ前回ご住職が居た縁側へ。
今回もまた縁側に座っている冬用股引を着用したご住職が居ました。
中門の中を拝観したい旨伝えると「どうぞ扉を開けてご自由に見て下さい」。
どうやら普段から中門の扉は閉まっていて、いつでも自分で勝手に開けて出入りしても良いみたいです(;´Д`)
というか、実は線路上の鉄橋を渡って来るルートは地元の方々にとっては異例らしいと言う事が後から判明しました。詳細は後述。
P1001472.JPG
聖天堂
s3.JPG
恵明堂・観音堂・行者堂

いずれも創建当時からほぼ現存と思しき立派な佇まい。
しかし表の本堂同様あまり手入れされていないのか割と荒れたい放題な印象がちょっと残念でした。
地面にもこの秋発売したばかりのデザインの缶ビールの空き缶が無造作に散らばっていたり…何か意味があってわざと置いているのでしょうか?その他にもゴミやガラクタが散乱。ううーん(-_-;)
他にも愛宕社など計6つのお社があり、ちょうど地元の方とおぼしきおじさんが参拝されていました。
・・・ん?私が陸橋を渡って来て中門をくぐるまで誰にも会わなかったのにこのおじさんは一体どこから来たんだ?(;・∀・)という疑問を残しつつ、三成の井戸の事を尋ねに再度縁側にいるご住職のところへ。
先程見かけたおじさんはご住職と知り合いの地元の方のようで談笑されていました。
ご住職に三成が水を汲んだという井戸の所在を尋ねると
「ああ、お社の横の道を下って車が通る道路から見上げるとね、本当は三つあるけど今は二つだけ石垣が見えるよ」。
お社の横の道?いぶかしく思いつつ再度中門の内側へ。
実は聖天堂の右横に通路(上の写真の社の右側)があり、階段を下るとアスファルトの道路へ出ました。
どうやら地元の人はこちらの道から仙琳寺に行かれる方が多いみたいです。
で。この道路、どこに繋がってるか不明だったのですが降りてみると妙に見覚えある公園と風景が。
P1001480.JPG
彦根駅から佐和山に行くまでの道路でした(;・∀・)
確かに道路横に竹藪があり「仙琳寺プロジェクト」の看板が設置してあったのは認識していましたが、位置関係を把握してなかったこともあり、お寺の裏の竹藪がこの竹藪だったとは思ってもみませんでした(;´Д`)

そして井戸について前回調査不足でしたが「仙琳寺プロジェクト」で既に2010年よりかなり伐採整備を進めていらっしゃるようで、道路から井戸の石垣の目視が充分可能な状態になっていました。プロジェクトに参加されたボランティアの方のブログ等拝見しましたが元は本当にもっと荒れた竹藪だったようで…ここまで整備され道路からの目視が可能になった事に感謝です!
ですが先に謝っておきます…おそらく井戸の付近までは勝手に立ち入ってはいけなかったと思うのですが、特にロープ等張っておらず目視できた事が嬉しくてついつい近寄ってしまいました。
P1001478.JPG
↑手前の井戸の石垣
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↑手前の井戸
P1001477.JPG
↑奥の井戸の石垣
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↑奥の井戸

もう一つの井戸は分かりませんでした。(プロジェクトさんによると既に発見はしているとの事)
これらの井戸の中には、三成が汲んでいたとの伝承のある水が今も枯れずに沸いていると思うと何とも感慨深いです。
この井戸がある竹藪から道路沿い100m程北に「石田三成屋敷跡」の碑がある事からも、ここに三成の利用した茶室があったという伝承はあながち嘘ではないと思いたいところです(´∀`)

2013/07/03追記
春に佐和山へ行った際に三つ目の井戸を発見しました。
一番見つけやすい道路脇すぐのところにありましたが、冬に訪れた時はこの部分はまだ竹藪に覆われていて目視する事が難しい状態だったと思います。現在進行形でこの竹藪の整備が進められているようで、こうして全ての井戸が目視できるようになった事に改めて感謝いたしますemoji

↑一番手前の井戸


●おまけ
前回日が暮れてから訪れた為全く気付かなかったのですが、鉄橋を渡って最初の山門の内側には多数の落書きがありました。
昭和の時代には今より人々の文化財保護の意識が薄かったのか、あらゆる観光地でその時代の落書きを見かける事が多く嘆かわしく思ったりしてしまうのですが、今回は妙な歴史を感じたのでパチリ。
8edf2c66.jpegb4ecc2f0.jpeg
左:昭和十三年に十三才ですとご存命だと87歳…?この当時だと旧制中学校でしょうか。近くに住んでいて学校帰りに立ち寄ったのかもしれませんね。
右:昭和五年にグループで来られたのでしょうか。
いずれも戦前に書かれたものですね。漢字が旧字体!
s1.JPG
ざっと見渡して見つけた最古の日付。明治四十四年。年号が変わる一年前ですね。
書いてある事は判別不能なのですが、生年月日ではなく参拝日であったら一世紀以上前。
仙琳寺の建物が江戸時代からのものとあるので明治時代の落書きが残っていても不思議ではないのですが、建物でこれは何百年も前に建てられましたと言われるより、こんな風に今も野ざらしになっている日常的な落書きの方が身近に過ぎ去った年月を感じて「ここに100年以上前から人がいたんだ」という実感と感動を覚えました(笑)
そういえば佐和山のふもとにある龍潭寺のお墓にも明治やそれ以前の年号のお墓がいくつかあって、同様にお寺の歴史を感じましたナァ( ´ー`)


さらにおまけ
■佐和山

あわせて雪の佐和山に登ってきました。
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まだ紅葉が残っていたので白い雪に赤い紅葉が舞い散っているさまはとても綺麗でした
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山頂から見下ろす街も雪化粧
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しかし標高が低い山といえど雪の積もった山はなかなか危険だと再認識しました(;´Д`)
私達が登った時は幸い前日あたりにどなたか登った足跡がありかなり助かりましたが、足跡が無ければ山道が雪にかき消されていて慣れている人でないと誤って道ではないところに踏みこみ遭難や事故の恐れが充分にあると思います。
実際私は二回目でしたが、前回と全く同じルートで登ったにも関わらず新雪に足跡が覆われてしまっていた箇所で二回程道を誤りかけました(;´ー`)ひー
しかし夏場とは違った風景が楽しめますし、空気が澄んでいて冬の佐和山登山も素敵だと思います。
おすすめなのはあったかいお茶を魔法瓶で持って行って山頂で一息ついて飲むとかなり特別な感じがしますよー(´∀`)
何より夏場に大量にいるあの強烈な痒さをもたらす蚊が全くいないのが一番の魅力かもです(笑)

ちなみに雪の安土城は整備されているおかげでそれほど苦労はしませんでした。
竹中半兵衛の観音寺山は、3月なのにたまたま寒かった日に行って山頂付近で猛吹雪に合い、遭難するかと思う程でした(;´Д`)冬の登山はくれぐれもお気をつけを~


○おまけのおまけ
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すみませんだーれもいなかったので遊んでしまいました(;-∀-)
でも自画自賛したくなる会心の出来!(笑)
下山時にはちゃんと崩してきました!

今回はここまでです!
 

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◆御朱印の旅@石田三成(井伊家)◇彦根◆

前回に引き続き滋賀県内の、今度は彦根市にある石田三成関連のお寺と頂いた御朱印を紹介します。
彦根を散策した際には佐和山城に始まり自分の中で”三成巡り”としていた為三成関連と書きましたが、
すべて井伊家に縁が深いお寺でもあるので井伊さんも併記します(;´∀`)

【彦根】
■龍潭寺
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三成の居城であった佐和山城のふもとにあるお寺で有名ですね。
古くより井伊家と縁の深い臨済宗のお寺ですが、現在は三成・秀吉・田中吉政も祀っていることから三成ゆかりの寺とも言われています。
お寺の山門は佐和山城の城門を移築したもので、玄関にある釣鐘は佐和山城にあったものと言われています。
お寺内には有名な頭巾をかぶった三成の肖像画の掛け軸や三成愛用の刀・資料等の写真が展示してありました。
(三成の肖像画は通常非公開と聞いたので複製かと思われます・・・?)
c.jpgb.jpg
龍潭寺はだるまと庭園のお寺としても有名で、殊更大きなだるまが印象的でした。
夏の終わりの時期に行きましたがお庭の見える座敷部屋には涼しい風が通ってとても気持ち良かったです。
先に佐和山に登って一汗かいた後だったので、休息も兼ねてじっくり見学させて頂きました(´∀`)


■仙琳寺
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第四代藩主井伊直興の七男千代之助が出家して寛永四年(1792)に建てられた天台宗のお寺です。
ということでこちらも井伊家と縁あるお寺ですが、私はお寺の敷地内にある「石田地蔵」と「石田三成の茶の井」を目当てに訪れました。
「石田地蔵」はお寺の門の手前の横道、お堂の裏にあります。一つではなく複数のお地蔵さまが一見無造作に(・・・)安置されていました。ご住職にお話を伺ったところ、三成を慕っていた人々が関ヶ原合戦後に石田一族や家臣たちを思い作り持っていた地蔵を、徳川幕府の目から逃れるためこのお寺に集めてまとめて供養したとの事です。なんとなく写真は撮れない光景でした。
「石田三成の茶の井」と呼ばれる3つの井戸は、三成の時代に仙琳寺のあった場所に茶室が設けられ三成が茶の水をくんだとの伝承に由来しておりお寺の裏の竹藪内にあるそうですが、現在目視することは難しい状態だそうです。お寺の裏をちょっと覗いてみましたが、夕方で薄暗かったこともあり立ち入れる様な雰囲気ではありませんでした。この井戸付近を整備する仙琳寺プロジェクトという計画がある事を後から知りました。整備完了されればいつか見学出来る様になるのでしょうか(´・ω・`)
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このお寺へは東海道本線の線路上にかかる専用の鉄橋を渡って行くのですが、この鉄橋が古めかしく電車が下を通ると激しく揺れてかなりデンジャラスw
さらに訪れたのが夕方だった事もあり写真のように木が生い茂る橋の先は真っ黒で、お寺に着くまで恐怖感いっぱい。
さらに本堂についてからびっくり!大変失礼ながらまるで廃墟の様な有様(;´Д`)
この感じでは誰もいないだろうなと思って奥まで歩くと縁側に人影が・・・!?
股引姿で古新聞の整理をしていたご住職でした(;・∀・)
実は訪れたのが17時過ぎていた為内門の中は見学できなかったのですが、お話とご朱印には快く応じて下しました。リベンジ必至です。
リベンジしてきました⇒


宗安寺
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彦根城キャッスルロードにある浄土宗のお寺です。
このお寺は・・・私的に誰関連とも言い難いお寺です。
井伊直政が建立し以降井伊家の保護を受けたとの事ですが、家康死去後、彦根における家康の位牌安置所とされ現在も「東照大権現」位牌がありお寺の紋も三つ葉葵が使用されています。一見すると徳川家縁のお寺かの様です。
しかしご本尊は淀殿の念持仏と言われている阿弥陀三尊立像。
お寺の門は佐和山城の大手門であった通称「赤門」が移築されており、お寺の中には三成が佐和山城近くで母の為に建立した瑞岳寺というお寺で祀られていたとされる「石田地蔵」なるお地蔵さまと「千体仏」があり、さらに敷地内墓地には木村重成の首塚があり、木村重成の首実験を行った安藤重勝の一族菩提寺でもある。
・・・といった感じで歴史上の方々ゆかりのものが盛りだくさん。同じ敷地内に”石田地蔵”と”東照大権現”がいてその他敵味方入り乱れ(;・∀・)今でもお寺の中でケンカしてるイメージしか浮かびませんでしたw

今回はここまでです!

 

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◆御朱印の旅@石田三成◇長浜・京都◆

今回は滋賀県の長浜市と京都で、石田三成に関連あるお寺・施設で頂いた御朱印を紹介します。

【長浜】
■石田三成会館
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三成の屋敷跡に建つ公民館。
館内には三成に関する資料等の展示があり、入口の事務所では色々な三成グッズが販売されていました。
この御朱印もグッズの一種類として販売されています。
└三成の家紋・花押の御朱印(一枚300円/四枚セットで1000円)

▽内容について拙い私見▽
★書き文字
◆左上「参拝 江東院殿 近江国長浜石田治部 石田三成公一族供養塔」
三成の戒名が『江東院正軸因公大禅定門』であることと供養塔の内容から、会館の近くの石田一族供養塔がある八幡神社(石田神社)の御朱印と思われます。この八幡神社が建っている地は関ヶ原合戦後に石田一族の墓が埋められ、昭和になってから掘り起こしたところそれが判明したと言われています。
◆右上「石田三成公旗印 大吉大一大万 近江国長浜石田治部 石田三成公事蹟顕彰会」

石田会館は、石田会館内の史料館を管理運営する財団法人石田三成公事蹟顕彰会の事務所も兼ねておられるそうです。会の方々も三成の旗印と同じ志を持っているという意味合いでしょうか(´∀`)
◆左下「石田三成公花押 (花押)」
花押とは、署名の代わりに使用される記号のことで、現代で言うところの印鑑みたいなものでしょうか。
三成の場合は名前と名字から一文字づつ「三」と「石」の字を取って上下に重ねたデザインです。
当時としては珍しいデザインだったとか。それを再現して書かれています。
◆右下「石治少 三成 (花押)」
石治少は”石田治部少輔”の略ですね。書状などにこの様に署名されている事が多いようです。
それを再現して書かれています。

★判子(=家紋)
◆『下がり藤に石』
三成の家紋の一つ。三成の印章に「藤原三成」とあることから石田氏は藤原氏の流れをくむ家系であり当時から使用していたとか、この話を聞いて後世に創作されたなど諸説あるようです。
◆『九曜紋』
石田家が代々受け継いだ家紋と言われています。

これらは全て顕彰会の方が書かれたそうで…花押など、かなり手慣れた感じで再現度が素晴らしいと思います(´∀`)私が会館に行った時はいらっしゃいませんでしたが、おられる時は展示物の案内などして頂けるようです(*´・ω・`)いいなー


■観音寺(伊富貴山観音護国寺)
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三成が幼少時代に奉公していたお寺で、秀吉との出会いの場所で有名ですね。
わけあってこのお寺には二回訪れましたが、平時は本堂の方にはどなたもいないようです。
書き置きの近江西国三十三箇所巡り用の御朱印が本坊の玄関前のガラスケース内に置いてあったので、一升枡に心付けを納めて一枚頂きました。
本当はお寺の方にお願いして参拝の日付を入れて頂くものですが、この時予定していたバスの時間が迫っていた為日付無しの御朱印になってしまったのが残念です(´・ω・`)

 

【京都】
■退耕庵(東福寺)
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この庵の建物内にある夢軒という四畳半台目の茶室で、三成が宇喜多さんたちと関ヶ原の戦いの謀議を行ったと言われています。
こちらの庵は非公開で、まれに春や秋の京都の観光シーズンに合わせて特別に公開されます。ちょうどこの春に特別公開を行っていたので行って来ました。(それ以外でも予約をすれば拝観させて頂けるようです)
建物の内部の写真撮影は禁止、お庭だけOKということで、お庭の写真のみパチリ。
w.jpgww.jpg
窓枠が写っている写真は茶室に面している奥のお庭で、件の茶室はこの写真で言うと左側にあります。
もう一枚は茶室とは反対側、本堂に面している縁側から撮影したもので、本堂とその前のお庭です。
この庵が安国寺恵瓊によって再建された事によるのでしょうか、お堂内には毛利家の家紋がたくさん付いており、行事ごとの際には入口の門にも毛利家家紋の幔幕が張られるそうです。
武将好きとしては家紋を見るとおっとなりますよね(*´ω`)
この庵には三回訪れてやっと御朱印を頂けました。
一回目→アポなしで夕方に来訪。ご住職不在につき拝観×、御朱印も貰えず。
二回目→春の特別拝観時期に行った為、拝観はできたが御朱印は個別対応して頂けず×
三回目→アポなしで午前中に来訪。快くOKして下さり、若いお坊様に御朱印を書いて頂きました。
来訪、拝観とステップを踏んでやっと念願の…!でした(笑)

あと京都で三成と言えば
■大徳寺三玄院
P1002180.JPG
三成のお墓がある場所で有名ですね。
こちらは完全非公開、一般人は立ち入りも不可能な為、写真だけパチリ。
通りかかった見知らぬおじさんが三成について色々解説して下さって勉強になりましたw

今回は以上です!

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三成絵文字「家康ぅぅううぅううッ!!」

\家康イエヤスいえやすイエヤス/
         mitunari_ieyasu.gif

    \イエヤスウウゥウ/
         mitunari_giri.gif

   \家康ぅぅううぅううッ!!/
         mitunari_kyoukou.gif

  \スゥー・・・イエヤスゥー・・・/
         mitunari_neru.gif


家康ぅうぅうう!なメールの時にドゾー(・∀・)

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